あの日から13年。

雑記
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今年ももう3月になり少し経ちましたね。

雪が降ったり気温が安定しない中、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?

今日2024年3月11日であの日、東日本大震災が起きた日から13年もの月日が経ちました。

あの日から12年。
今年も早いもので3月になりましたね。 本日3月11日の12年前、日本中が悲しさと悔しさで包まれた忘れもしない日です。 しかし、記憶というのもあいまいなもので、突如として襲ってきた非日常は年月を重ねるごとに記憶は薄れていき。 記憶は悲しい思い...

 

もう、毎年この記事を書くのも12年目になるのかな、と思うと12年前のクソガキなりの私は自分なりに何かできることはないのかな。と思い書いていたんだと思います。

当時はまだyoutubeよりもブログでスマホもそんなになかったイメージですし。

多少なり、何かできればとyahoo募金のURLを貼ったのだと思います。

当時の思いは覚えていませんが、当時の被災してしまった方たちが感じた一端は私も今年の1月1日に感じました。

1月1日能登半島地震ですね。

能登半島地震(のとはんとうじしん、英:The 2024(R6) Noto Peninsula Earthquake)とは、2024年(令和6年)1月1日16時10分(JST)に、日本の石川県の能登半島地下16 kmで発生した内陸地殻内地震である[16]。震央は鳳珠郡穴水町の北東42 km[注釈 11][2]の珠洲市内にあった[18]。気象庁の発表によれば、この地震の気象庁マグニチュード(Mj)は7.6[19][20]であり、内陸部で発生する地震としては日本でも稀な大きさの地震であった[21]。観測された最大震度は、石川県輪島市門前町走出と同県羽咋郡志賀町香能で観測された震度7であった[16]。気象庁による正式名称は「令和6年能登半島地震[1]」。

wikipediaより。

 

始めて、”死ぬかもしれん”と思い揺れながらながら過ごした数分でした。

亡くなった方も大勢で、未だ目途が立たないところも沢山あります。

それでも皆が力を合わせ、1歩ずつ1歩ずつ前に進んでいると思います。

時にはこの活動、この行動に意味はあるのかと思う事も多々あったり。

そういう思いをしている人も沢山いると思います。

人間だけではなくペット、命だけではなく事業。

全てのものがバラバラになって何からつなげればいいのか全く分からない現状。

それでもうっすら東日本大震災の時を思えば、風評被害だったり。

原発問題だったり、津波の影響だったり。

もっとすさまじい凄惨で残酷な世界が続いていたんだろうなと今なら想像できます。

一歩一歩積み重ね13年の月日が経ち、未だ体や心の傷がいえない人も沢山いると思います。

それでも立ち向かうことで困難を切り開き続けた人、そんな人たちを支え続けた人。

私から見れば生きる伝説でありこれからの一歩の背中を押してくれる存在だと思います。

正直、1月1日から玉突き事故のように。

不運な出来事も多くあり、感情のコントロールも難しくなってきているという自覚もあります。

膝は折れそうになりますが、私は単純なので明るく元気でそして…頑張っている人がいれば自然と前を向けます。

だからこそ、大谷翔平ありがとう。

ポジティブもネガティブも波及するよね。

と、いう感じでこれからも前向きに頑張っていこうと思います。

 

今年も恐らくYahooとLINEさんがやってくれるでしょう!!!

是非3.11で検索を。

ここで舞える。

 

3.11 これからも、できること。| Yahoo! JAPAN / LINE
3月11日に、ヤフーやLINEで「3.11」と検索してみませんか。検索された方おひとりにつき10円を、東日本大震災および能登半島地震の復興支援や防災をはじめとするより良い未来づくりの活動に寄付いたします。

 

それでは今日の所はこの辺でお疲れ様でした。

 

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